耐震診断余話
耐震診断現場で出会ったもの達 Ⅱ
(1) ギフチョウの館
耐震診断に伺ったA様の御宅
伺った直後から 気になってました。 そこかしこに飾ってある蝶の標本や写真。
診断作業を終了して、世間話にかこつけて「蝶」の話題になるや出てくる出てくる
飾りきれない数々の標本や写真・・・特にギフチョウの飼育や保護には相当に熱心
の御様子でした。
カンアオイ(だったかな?)の葉に産み付けられた卵から自宅で孵化させ、成虫に
なったら、カタクリ(これもあやしい?)の咲く場所に放してやるそうです。
もう十年以上続けてきたが、今年はどうもうまく飼育できなかったとか・・・。
やはりこの暑さのせいでしょうか。
本物の ギフチョウ と カンアオイ(?)から作成された額飾りです。
飼育の研究成果です。
そして、毎度おなじみの蜂の巣です。
こちらのはかなり大物。
空でよかった。
(2) 蛇は守り神
耐震診断に伺ったB様の御宅
はじめは、よく見掛ける 墨絵の蛇かと思いました。・・・・が
でも、よ~く見ると
本物の蛇の抜け殻じゃあありませんか。しかも頭の先(目も)から尻尾までの完全体。
この依頼者さんは毎年4回ほど畳を上げ、荒床まではずして床下に空気を入れているという
まことにマメな方でした。 そんな時床下でこの蛇皮をみつけ、知人に話して預けたら数日後
には「寿」になって戻ってきたそうです。
こんな完璧な抜け殻はメッタにないらしく、「家の守りとして大切にしなさい」と言われたそうで
それ以来 守り神として大切にしてこられたそうです。
本当は、一緒に一万円を入れておくと御利益倍増らしいのですが、もったいなくて入れられな
かった とか・・・・・・う~ん よっくわかります。
六斎市って・・・ナニ?
六斎市って・・・ナニ?
という訳で、少し調べてみました。 チョット長いですが御一読下さい。
中世・近世において月のうち6回開かれた定期市。六斎市の呼称は当初仏教関係行事と関連して市が開かれたことに由来するものと考えられるが、のちには交換経済の発達、戦国大名の市振興政策などに基づいて開かれるようになった。市開催日は、1と6、2と7、3と8といった組合せで、月に6回開かれた。史料上では南北朝初期と推定される常陸(ひたち)国国府(こくふ)(茨城県石岡市)六斎市、室町時代の応仁(おうにん)・文明(ぶんめい)年間(1467~87)の美濃(みの)国大屋田(おおやだ)(岐阜県美濃市)の紙市(かみいち)、山城(やましろ)国宇治郷(うじごう)(京都府宇治市)市が早い例で、戦国時代には諸大名の城下町や新宿(しんじゅく)の建設、市町(いちまち)振興などの目的で、多くの六斎市が開かれ、保護された。江戸時代には畿内(きない)・西国地方では地方城下町や在郷(ざいごう)町に交換機能を奪われて衰退したが、東国地方では農村商業の中心として存続したものもみられる。
・・・・・とあります。 そこで我が町中津川では
六斎市でも 食べられますよ! うまい!!です。
ドキッ! こんな記事が・・・
連日、暑い・あつい・アツイ日が続きますね。
今日の中日新聞 「生活ヒヤリ劇場」 にこんな記事が・・・。
もう読まれた方もいらっしゃるかもしれませんが、大変気になる内容ですね。 中津川市の無料耐震診断に関わっている我々にとっても無関心ではいられない内容です。 我々も耐震診断の最終作業として診断結果の報告及び耐震化工事について御依頼者宅を訪れ、内容説明などするわけですが、ひょっとしたら この記事に書かれているような誤解を与えてしまう説明の仕方をしているのではないか・・・とドキッとします。
診断に伺うと依頼者さんは高齢者の御夫婦か御一人住まいの方が多いです。 いろいろ聞き取りをする中には、「シロアリ関係で床下換気工事を高額でしてしまった」とか「屋根や樋の不信な工事をした」とか・・・そんな話がチョクチョク出ます。
白蟻・床下換気扇・外装工事・火災警報器・耐震工事・地デジチューナー、アンテナ 等々 全てが詐欺まがいとはもちろん思いませんが「エエ加減にせいや!コラア!!!」と言いたくなりますよね。一応まっとうな建築関連従事者と自負してる私としては。
写真をクリックしていただければ拡大して記事が読めます。
では、次回まで。