平成30年度活動報告
女性委員会30周年記念事業 聴竹居・アサヒビール大山崎山荘美術館見学会
日 時:2019年4月20日
会 場:聴竹居:京都府乙訓郡大山崎町字大山崎小字谷田
アサヒビール大山崎山荘美術館:京都府大山崎町銭原5-3
参加者:20名(女性委員9名、一般士会員7名、賛助会委員3名、一般1名)
聴竹居建物内部と美術館内部の写真をHP等に掲載することはできませんので、内部写真はありません。
「聴竹居」の見学を終えて
報告者:宇佐美 泉
4月21日(土)、好天に恵まれ順調に京都大山崎に着き、JR山崎駅前から徒歩で天王山の中腹まで20分ほどで、「聴竹居」に着いた。大きなモミジの木々の中に、すっぽりと隠れるようにその建物はあった。
(↑JR山崎駅でバスを降りる
(↑徒歩移動の様子。お天気もよく気持ちよく歩くことができました。)
(↑入り口にて集合写真)
建築家・藤井厚二氏が、実験住宅として昭和3年に建築した木造平屋建て住宅で、これが5件目の自邸だった。椅子の生活を主として、来客等の空間は可能な限り減らし、家族の居住空間の快適さを第一に考える。特に、夏季の生活の快適性を考慮した設計がされていた。
居間と和室の床の段差を利用し、その蹴上の部分に導気口が設けられていて、外のすがすがしい風を山の下から地中に埋め込んだ土管を通して部屋まで持ってきて、導気口からその冷気を取り込み、部屋の温度を下げることが考えられていた。室内の暖まった空気は天井排気口によって外へ排出し、夏季の生活をより快適に考えられていた。又、床下換気口や、通気筒(台所に設置)を設けて通風を確保した。夏を過ごしやすい住まいを考えていたので、冬は大変寒かったようで電気暖房機器で暖をとったとの事。
台所は、当時では最先端のオール電化であったことも驚きだった。天井は高く、室内は明るく清潔感があり、従来の日本の台所のイメージを覆していたが、電気代は、とても高かったようだ。
(↑空気の取り入れ口)
台所に隣接する食堂や来客の応接室は、そんなに広くなくコンパクトだったが、そこかしこにちょっとしたしつらえがしてあった。居間は、建物の真ん中に位置していて、そこに座っていればすべての部屋がみわたせる、気持ちの良い空間だった。
縁側からみた外の景色はとても良く、夏は直射日光が当たらなく、冬には陽が入って暖かくとても気持ちの良い空間だった。前庭のモミジの大木が丁度よい位置にあり、雨戸がないにもかかわらず建具やガラスが汚れたことがないとの事。軒の出は勿論のこと、木々の位置まで考えて設計されていた。
(↑窓の様子)
外に出て、手入れされた木々は、高木はモミジを中心とした落葉樹で、低木は常緑樹で構成されていた。建物外観は、軒の出を深くして夏の直射日光を防ぎ、雨季には雨を防いだ。屋根勾配は、21/100で銅葺きの緩やかな屋根で、棟付近は瓦葺にし、45/100の勾配にしてあるそうだ。
昭和3年に竣工したのに、室内外共にとてもモダンで現代でも違和感なく、環境共生住宅とも言われていて、これは言い換えれば最先端な住宅ともいえるのではないだろうか。
本屋(母屋)の見学を終えて、本屋の北側にある閑室(藤井氏自身のプライベートルーム)も見てもらった。そこにはトイレがあったが、当時では珍しい水洗トイレで、本屋もそうだったので大変驚いた。
一通り見学を終えて、本屋の居間や縁側で又は外で、各々お弁当を食べた。とてもおいしいお弁当だった。
(↑外でお弁当)
(↑お弁当 近くの仕出し屋さんより取り寄せ。絵は知り合いの画家に描いてもらったもの)
最後に、藤井厚二氏は茶道・華道・絵画・陶芸等多彩な趣味があり、「聴竹居」は自身の雅号からつけられたそうだ。
(↑2018年の大阪北部地震と台風で大きな被害を受けた国の重要文化財「聴竹居」は、国(文化庁)と京都府、大山崎町の災害復旧事業の予算を得て、本屋と閑室の外壁及び屋根瓦の修復工事を始めています。)
(↑復旧工事で外壁は終わり、今は屋根工事をしています。)
アサヒビール大山崎山荘美術館を見学して
報告者:長瀬 八州余
午前7時15分にJR岐阜駅じゅうろくプラザ前にて集合して、JR山崎駅にてバスを降り、「聴竹居」へ向かいます。予約をしていた時間より早くに着いてしまいましたが、こころよく中に入れてくださいました。2班に分かれて、係の方より説明を受けます。注文していたお弁当を室内でいただく事ができ良かったです。
次に徒歩移動で「アサヒビール大山崎山荘美術館」へ向かいます。
(↑トンネルを通って美術館へ向かいます。)
今回特別展は2019年3月21日~6月9日まで「没後40年バーナード・リーチ展-山本為三郎コレクションより」を展示していました。
大山崎山荘は大正から昭和初期に、実業家・加賀正太郎が別荘として自ら設計した英国風の山荘です。その後、加賀家の手を離れた山荘は、平成に入って、取り壊しの計画もありましたが、アサヒビール株式会社が貴重な文化財を後世の伝え、その保全・活用を通じて豊かな社会を創出するために、京都府、大山崎町と協力して山荘の復元整備を行い、1996年春「アサヒビール大山崎山荘美術館」となりました。
所蔵品の中核を成すのが、美術館開館に際して寄贈された、朝日麦酒株式会社(現アサヒビール株式会社)初代社長・山本為三郎によるコレクションです。河井寛次郎、濱田庄司、バーナード・リーチ、芹沢銈介、黒田辰秋らの作品をはじめ、国内外の工芸の名品が含まれています。
(↑本館入り口にて集合写真)
建物も本館の他に、安藤忠雄設計の「地中の宝石箱」(地中館)「夢の箱」(山手館)と別れていました。
ここは自由見学でした。2階のテラス席でお茶をして、景色を眺めます。
(↑テラスにて)
(↑テラスからの眺め)
参加者の皆さんが協力的で、時間にキチンと集合してくださり、早め早めの行動ができ、帰りもスムーズに帰ることができました。
参加者の皆様には感謝です。ありがとうございました。
お天気もよく、楽しいバス見学会となりました。