令和6年度(2024)活動報告東海北陸ブロック後期大会
東海北陸ブロック 後期 美濃・関大会 その2 分科会報告

日 時:令和7年2月15日(土)
○ブロック事業発表
<分科会(まちあるき)> 13:20~16:20(180分)
A分科会 小・ 中規模木造見学コース
morinos (モリノス) → 森林文化アカデミー
B分科会 うだつの町並みとまちごと活用見学コース
美濃うだつの町並み(小坂酒造、旧今井家住宅)
→ WASITAMINO、NIPPONIA美濃、Washi-nary
C分科会 美濃和紙と うだつの町並み見学コース(女性委員会担当)
美濃和紙の里会館(館内見学、紙漉き体験)→美濃うだつの町並み(旧今井家住宅)
D分科会 関市の歴史ある町並みと空き家活用見学コース
せきテラス → 春日神社 → 古民家あいせき、本町べース → 善光寺
A分科会報告(小・中規模木造見学コース)
報告者:大上 さおり
数日前までの荒天が嘘のようなお天気のブロック会初日、分科会A班小・中規模木造見学コースに参加させていただきました。
スタートは「森林総合教育センターmorinos【モリノス】」。土曜日ということもあり、morinos広場ではたくさんの家族連れが思い思いに森を楽しんでいました。
morinosの建物は、森林文化アカデミーのワークショップから生まれたそうで、学生さんの2案を建築家・隈研吾さんが講評しながら、それぞれの良いところを取り入れた第3の案をつくり、それが素案になっているとのことでした。
象徴的なV字の丸太柱が印象的ですが、この柱に使われている丸太はすべてアカデミーの演習林から学生たちが切り出したもの。森の命をいただいて建物に引き継ぐという体験ができる。なんて素敵な授業でしょう。
ガラスの面が多く、エネルギー消費が気になるところですが、35mmのトリプルガラスで断熱性を高めておりガラス以外の壁の断熱性能も高めることで夏冬通して快適であるとともに、昼間は照明がいらないほど明るいそうです。
室内の床は岐阜県産のスギ材を使用した圧密フローリング。杉というと柔らかいイメージですが、およそ半分の厚さまで圧縮することで、フローリングによく使われるナラ材と同等の硬さになっているとのこと。
屋外のデッキも岐阜県産のスギ材を使用。表面だけを加工して美しい木目を残しながら、耐摩耗性を高めてあります。屋根はかかっていますが、雨がかかるため、井桁に組んで裏側からくぎを打ち、表面に金物が出ないよう工夫されています。
その他にも、エントランスを入ると目に飛び込んでくる十二単のような美しい左官壁は、森林文化アカデミー客員教授、左官職人の挾土秀平さんの作品。アカデミーの学生さんが挾土さんの指導の下に塗っている層もあるそうです。
引っ掻いて削れても下から次の層が出てくるという正に十二単になっており、傷ついてもそれが新しい表情になるため補修いらず。悪意を持って傷つけるのはNGだけど、子供にもどんどん触ってほしい、とおっしゃっていました。
ひとしきりmorinosを楽しんだ後は、アカデミーの松井先生の地域材を使った木造設計グループと同じくアカデミーの小原先生のマニアック構造グループの2グループに分かれてアカデミー内を案内していただきました。
私は木造設計グループに参加。木材加工の授業やアカデミーの施設を覘かせていただきながら、歴代のアカデミーの学生さんたちが自力建設した建物を案内していただきました。
アカデミーの学生さんはほとんどが建築以外の分野から飛び込んできた人たちとのことですが、入学してすぐに自力建築の設計に取り掛かり、構造などの授業が後から追っかける形でカリキュラムが進むそうです。
自力建築は、毎年学内でアンケートを取って決めた、こんな建物があったらいいな、という小さな建物を設計から施工まで学生さんが行うものです。刻みも学生さんの手加工。今年の自力建築は屋外階段で、部材が多いため、完成の直前まで刻んで刻んで刻みまくりました!と語ってくれたのは木造建築専攻、前職が有名料亭のウエディングプランナーだったという学生さんでした。
木造建専攻では、卒業した先輩方が建てた建物の補修や改修も行っており、木の経年変化や、劣化の条件などを、身をもって体験できるため、木の得手も不得手も実体験で理解した技術者になれるのが強みだと先生はおっしゃっていました。
この分科会に参加して感じたのは、森林文化アカデミーは先生がアツい!ということ。そして、森が、木が、木造建築が大好きだということ。前日までの雪でぬかるんだ演習林をのしのしと歩く歩く!あの熱量でなされる授業を受けられたらさぞかし楽しいだろうと、学生さんたちを羨ましく思うとともに、この環境から多くの匠たちが生まれ、地域の木造建築を盛り上げて欲しいと心から思いました。
(↑ 北川原温氏の設計による「森の工房」樹状トラスが圧巻です)
(↑ アカデミー内に点在する自力建築した建物たち)
(↑ 今年の自力建築の屋外階段と棟梁を務めた学生さん)
B分科会報告(うだつの町並みとまちごと活用見学コース)
報告者:田口 里恵
小坂酒造(国重要文化財)
最初に小坂酒造に案内して頂き屋根に火災から守る為に独特のうだつつくりの屋根がどっしりと今も酒屋の風情を残し営業していました。
この日は蔵開きが行われていて中にお客様がいらしてました。
今回は中に入ることが出来なく大変残念した。
旧今井家住宅(市指定文化財)
江戸時代中期に建てられ美濃市で最も古いうだつが上がる庄屋兼和紙問屋の町家
NIPPONA 美濃
築90年を超える和紙原料問屋の別邸を改装した宿泊施設3棟の中1棟を見学せて頂けました。
数寄屋造りのこだわりのお部屋で見学させて頂いた棟は茶室だったようで、
C分科会報告 (美濃和紙とうだつの町並み見学コース)
報告者:小林 教子
C班は、美濃和紙開館から美濃市今井家を巡るコースです。
B班の方々とバスをシェアして出発、美濃市でBコースをめぐる方々を降ろした後、美濃和紙会館へ向かいました。
(↑ B班の下車後、バスの中で説明を受ける)
到着後、会館前で記念写真(証拠写真)を撮影後入館しました。地下に行き、説明を受けたのち美濃和紙の紙漉き体験をしました。3組に分かれ、さらに半分ずつ体験を進めましたが、皆さんほとんど紙漉き初体験のようでしたので、希望者はキットに合わせてモミジを散らしたりし、大変好評のようでした。待っている方々はその間、売店をのぞいたり、展示を鑑賞しておられましたが、期間展示の和紙のドレスで、「映え」写真を撮られた方もいたようです。
(↑ 紙すきの様子)
(↑ もみじを散らす様子)
(↑ 売店の様子)
漉いた和紙は乾燥に時間がかかるので、井之口さんが受け取り、懇親会時に皆さんに手渡されました。
(↑ できあがった作品)
時間的には1時間弱滞在し、その後美濃市に向かいました。
美濃市では、2班に分かれそれぞれ街角案内人の方々の案内で、まちの反対側からめぐりました。美濃市の歴史から、火災を防ぐ「うだつ」を設けることに至った話を案内人から聞きながら、街の雰囲気を味わい、今井家へ到着。岡田さんが入館の手配を済ませ、スムーズに見学に入れました。
最初に水琴窟の音を聞き(案内人の話によれば、日本一良い音とのこと)、奥の蔵で美濃和紙やうだつの構造やその変遷、「にわか」の話などを聞き、屋敷の内部を見学しました。ちょうど雛人形も飾ってあり、昔の商家の雰囲気を味わうことができたのではないでしょうか。
今井家を出てから、ポケットパークに飾ってあるあかりアートの作品を横目にバスへと戻りました。1時間ほどの時間での見学でしたので、ぜひもう一度ゆっくりと地域の味も含め、美濃市に来ていただけるとよいと思いました。
帰りもB班とバスを乗り合わせて懇親会場へ戻りました。
C班は手順を確認済みでしたので、時間通り混乱もなく終えられたようです。
(↑ バス駐車場でボランティアガイドさん(宮西さん)から簡単な説明を受ける)
(↑ 町並み見学の様子)
(↑ 唯一 うだつを裏から見ることができる場所)
(↑ 今井家 庭の見学)
(↑ 今井家内部とおひな様)
D分科会報告
(関市の歴史ある町並みと空き家活用見学コース)
報告者:田中 佐企
今回、関まちあるきコースを選んだ理由は、他3コースはこれまでに体験したことがあったコースだったということと、平素自分がかつての岐阜城下町エリアで空き家を活用したまちづくりを業としているため、同じく歴史ある町並みを持つ関市においての空き家活用事例を学びたいと思ったからでした。
●古くから刀都として栄えた様子は、出発地点の「せきてらす」において見られる遺跡からも読み取れ、13世紀中頃から紀末には集落が成立し、鍛治の町として機能している可能性が高いというのには驚きました。また、江戸時代から変わらない区画割が残る商業町なのは、城下町だったからですか?と質問したところ、関にはお城は存在しなかった、とのことでした。
しかしながらこれほどまでに栄えたのは、かつて物資が飛騨川から運搬されていた時代、上図(赤い枠線)の激流の難所を避けて内地を通り長良川へ渡り下流へと運ばれていたとのことで、関市はその中継地点であったからだとのことでした。地形から読み取る町の歴史は大変興味深いですね。また、関の町は16世紀中頃には町ごと新しい場所へ移っているというミステリアスな特徴があり、今後新たな発見がされるかもしれないと思うとなんだかワクワクします。
●奈良の春日大明神を勧請して関鍛冶の守護神としたと伝えられている春日神社には、かつて年始には刀匠たちが舞を奉納したという能舞台が残っていました。
(↑鳥居と本殿の中間に位置する能舞台)
この能舞台では刀匠のみならず、農民たちも還暦の際には能を舞っていたとのことで、その披露目の際には刀匠を招待して見ていただいていたそうです。
(「昭和二十年八月建立」と刻まれた灯籠↑)
敷地内に建つ灯籠には、「昭和二十年八月建立」と刻まれており、終戦直後にこのような立派な灯籠が建立できたのは、戦時中に銃刀の製作を担っていたためだと言います。近年ではコロナ禍で世界中が巣篭もり状態の中、包丁が大人気であったという経緯もあり、不景気に強い町なのだとおっしゃっていました。産業のある町は強いですね。
●「本町BASE」は市の所有する空き地に、飲食、物販、シェアキッチンを備えた創業支援拠点施設です。運営は関市が行なっており、シェアキッチンの営業許可や食品衛生管理者の資格などは担当課で担っているそうです。まちのプレイヤーとなる起業家を支援することは、まちの活性化にダイレクトにつながり、町にある空き家を活用した出店にもつながる素晴らしい取り組みだと思いました。オープンした3年間での利用者数は1,556件、訪問者数は84,735人、イベントは実に84回開催されているそうです。この中から何組の起業家が育っていったのか興味がそそられます。