ぎふHM 2023年度
令和5年度 HM 第17日目
テーマ:「『私が見つけた登録文化財』の発表会」
「文化財の創造的活用を目指して」(講習)
日時 :令和6年3月2日(土) 13:00~17:10
場所 :OKBふれあい会館 3階 301中会議室
参加者:23名
◆ぎふヘリテージマネージャーヘリテージマネージャー協議会 部会長あいさつ
1年間お疲れさまでした。1月の能登半島の地震のあと富山県ではヘリテージ協議会調査業務を行うなどヘリテージマネージャーの重要性は高まっている。岐阜県でも今後ヘリテージマネージャーの重要性が高まるであろうから皆さんの活動に期待します。
◆『私が見つけた登録文化財』の発表
グループごとに今年度調査してきた事例の発表。事前に提出したパワーポイントと配布資料によって発表し、グループごとにあいちヘリテージ協議会の講師による講評をいただいた。
【A班】「旧松井商店」
「旧松井商店」」は岐阜市のかわら川原町の真ん中にある江戸時代の紙問屋。その問屋を営んでいた建物の調査報告。
<立地と建物の概要>
川原町は長良川を利用した海運によって和紙や木材の流通のまちとして発展した町で、松井商店は川原町にて1817年に紙卸業として創業、1948年に紙原料部門「有限会社川星商店」となり現在に至る。現在の建物は1891年(明治24年)ころ東濃地方から移築したものと考えられる。
<調査資料について>
調査の方法は、文献資料として「旧中川原町町並調査報告」(S56.2 岐阜市教育委員会)を利用し、ヒアリング調査(7代目当主松井芳樹様、8代目当主松井一樹様)、および現地調査を行った。
<建築年代について>
「棟札」、「古文書」はないが、1891年の濃尾地震のあと現在の旧松井商店のある場所に立っていた建物が撤去されていたことと、ヒアリング及び文献の記載から1891年ころの建築と判断した。なお設計者は不明である。
<旧松井商店の受賞歴>
平成12年に岐阜市「都市景観重要建築物」に指定されている。
<旧松井商店の建築物としての特徴>
建物は切妻平入、瓦葺で、東濃地方にあった旅籠を移築したものだが、川原町の町並みにあったしつらえである。建築物の特徴として次の3つをあげる。
【特徴1】華のある建具の構成
【特徴2】馬を通した通り土間
【特徴3】2つの階段(客用と裏動線用)
その他、防火に配慮した袖壁が設けられ、小屋組は登梁束立て方式である。
<旧松井商店の評価>
基準1:濃尾地震後から戦火を乗り越えて川原町の町並みを作ってきた建物であり、旅籠なら
ではの豪奢且つもてなしのしつらえのある室の高い古民家であり、国土の歴史的景観
に寄与しているものといえる。
基準2:外観は2階建ての低い軒高の平入の商家で、2つの階段、客を出迎える板戸障子など
旅籠の特徴をよく表しており、馬の通れる土間など岐阜の文化を象徴した造形の規範
となっているものといえる。
基準3:日本のすぐれた大工技術ならではの「移築」であり現在の建物では再現することが容
易でないものといえる。
よって旧松井商店は文化財としての価値が充分にある建物である。
講評:林秀和様(あいちヘリテージ協議会)
・ヒアリングというのは家主にとって建て替えられなかったという負い目や残してきたという誇
り、家の中を見られることへの抵抗などさまざまな思いがあるので難しいものである。
・階段が2カ所あって家の者と使用人が使い分けることは一般にあることだが、階段については
勾配や箱階段などの構造を見ると特徴がわかるので注意してみるとよいでしょう。
・「防火に配慮した袖壁」は「袖うだつ」という言葉を使用するとよい。土壁構造であれば袖う
だつに該当する。
・小屋組を調査する時は貫の入れ方を調べるとよい。江戸時代に近い構造ではないでしょうか。
・出入り口に大戸はなかったでしょうか。明治時代ならあったかもしれないので釘の跡などを確
認するとよいでしょう。
・評価において「再現できない」ことを挙げていたが、ちょっと言い過ぎかもしれない。伝統工
法は再現できるものである。
【B班】「矢橋大理石株式会社 本社事務所」
大垣市赤坂町にある大理石石材店の本社社屋の調査報告。
<矢橋大理石株式会社の歴史と地域の概要>
矢橋大理石株式会社は大垣市北部の大垣市赤坂町に位置する石材店である。赤坂町は旧中山道の赤坂宿として賑わった宿場町で、古くから石灰や大理石産業が盛んな街であり、伊吹山地の南東に位置する金生山は日本一の石灰石生産地となっている。矢橋大理石株式会社は、明治34年に矢橋亮吉が石材の加工販売、工事請負を行う「矢橋大理石商店」を創業した。関東大震災以降、RC造が急速に普及するとともに国産大理石も多くの近代建築に採用され、矢橋大理石商店も多くの工事を担ってきた。現在の建物は昭和11年(1936)にRC造2階建てに建てられたもので、昭和38年に内部の改修を行っている。
<建物の概要>
敷地の東に東面して建ち、東西方向9m540、南北方向43m550の細長い建物。鉄筋コンクリート造、ほぼ総2階建ての建物である。屋根は陸屋根でパラペットが立ち上がる。現在も事務所として使用されている。建設は昭和11年、昭和38年に間仕切り壁の増設、各室の天井、壁、床の改装等を行っている。設計者は不明だが「矢橋南圃翁伝」より名古屋の城戸武男技師と考えられる。
<建物の特徴>
外壁仕上げはモルタル刷毛引きリシン、外部建具はスチールサッシで正面となる東面、南面は縦長の上げ下げ窓(W600×H1800)が規則的に連続し近代建築の特徴を表している。内部仕上げは1階床がテラゾー真鍮目地切り、内壁・天井はプラスター塗りの繰型が施されている。玄関ポーチには明り採り用のガラスブロックが埋め込まれている。
<建物の活用について>
赤坂宿には旧清水家住宅や矢橋家住宅などの歴史的建造物が多数保存され、大垣市景観遺産をめぐるウォーキングルートが設定されている町である。矢橋大理石本社屋も景観要素のひとつとして活用できると考えている。
<評価>
・昭和初期、戦前の数少ない鉄筋コンクリート造の建築物で、近代建築の特徴を有している。
・歴史的建造物が多数ある中山道赤坂宿とJR美濃赤坂駅の間に位置し、赤坂宿の町並みの景観要
素および活用の場となりうる。
・以上より国土の歴史的景観に寄与しているものに該当すると考える。
講評:市川真奈美様(あいちヘリテージ協議会)
・この建物は昭和初期のRC造の建物で貴重なものであり、矢橋大理石の会社の歴史や創業者もは
っきりしているので登録までできると良いと思います。
・設計者については城戸氏の事務所が現在も存続しているので調べてみるとよいでしょう。
・一般に耐震診断を行っても建て替えるのか補強するのか天秤にかけることも多く、愛知県では
解体予定の建物の調査のみ行うものもある。現在耐震補強を前提に耐震診断を行っているとい
うことなので、是非頑張っていほしい。
・HMとしては耐震改修計画と合わせて保存活用計画を提案してはどうでしょうか。
・登録基準としては国土の歴史的景観に寄与しているということと、スチール窓が造形の規範と
なっていることが該当するのではないでしょうか。
【C班】「古民家あいせき」
関市の中心部の本町通に面した古民家。間口4間半の南北に細長い敷地に建つ木造瓦葺2階建ての母屋のほか、中庭や茶室を備えた今日町家風の建築物。
<物件の選定作業について>
今回の調査対象として関市「古民家あいせき」と瑞浪市の「JR釜戸駅」が候補に挙げられた。2物件とも管理者から調査の承諾を得ることができたが、資料の保管状況や既存図面の有無などから「古民家あいせき」を対象物件として選定した。
<古民家あいせきの歴史>
明治20年(1887)に関市中心部の本町通に面して建てられた店舗併用の古民家。明治41年に関信用金庫の前身の「有限責任関信用購買組合」の事務所が置かれたが、業務拡大により組合が移転した後は再び個人住宅となる。1992年以降は「古民家山麓」の名称で作品展やお茶会など広く市民に利用されていた。令和2年に所有者から関市に寄付され、耐震改修工事等を行って新たなコミュニティスペース「古民家あいせき」として整備されている。
<物件の概要>
敷地は間口約8.5m、奥行き約50mの南北に細長い敷地で南面より出入りする。木造2階建ての母屋、水屋、納戸、茶室からなり、延べ面積は260.59㎡。母屋、水屋、納戸は木造伝統的工法、茶室は木造在来工法であり、京風町屋としては関市の中心部では唯一現存する建物。
<建物の特徴>
外観は漆喰壁(腰壁は木仕上げ)、母屋の玄関は土間で店舗・帳場として使用されており道路面より約40cm高くなっている。2階は和室2室、板間2室で構成。東側和室の天井は屋根の形状に合わせた勾配がつけられている。茶室は大正後期から昭和初期にかけて増築されたもので建設当初の形式の形を保っている。
<改修について>
令和2年に纐纈氏より関市に寄付され、令和3年に耐震改修工事を実施し、大正後期の状態に復元した。コミュニティスペースとして利用するため階段を1カ所新設している。構造体の約8割は既存の物をそのまま使用し、耐震性向上のため一部に構造壁を追加。コミュニティスペースとして利用するため階段を1カ所を新設、水屋部分はトイレと湯沸し室として利便性を高めている。納屋部分は裏側の障がい者用駐車場への通行に配慮した通路としている。
<考察と評価>
・当初は個人住宅として建てられたが地元の信用組合の事務所として利用された時期が長く、関
市の町にとって歴史的・文化的価値が高い建築物といえる。通りに面したファサードや段違い
になった屋根の構成は往時の関市の風景を彷彿されるものであり関市の歴史的景観の中心とな
っている。
・建物の部材はほとんどが建設当初のものが残っており、重厚感のある木材や漆喰壁は日本家屋
の趣きと同時に技術を現在に伝えている。
・建物の活用についても関市が積極的に利用促進に取り組んでおり、誰でも気軽に利用できるフ
リースペースで多世代が多目的に利用できる施設となっている。
講評:奥村由美様(あいちヘリテージ協議会)
・調査の進め方については古民家の調査としてよい進め方であるが、資料の添付がないため年代
などの確証がないので登録時に説得力が弱いと思われる。⇒発表の都合で割愛したが関市にて
資料は保管している。(今井)
・調査や復元工事において過去の建築の痕跡が出てきたとこは、なぜそのような構造になってい
たのかを考えておくことが大切である。棟札がないということだが改修時に屋根の材料などの
復元の根拠はどうしたのでしょうか。⇒ヒアリングにて当時と同じものを葺いたと聞いている。
・コミュニティスペースとして改修を行っているとのことなので、是非有効活用してください。
【D班】「野麦学舎(旧高根小中学校野麦分校)」
高山市高根町にある旧高根小中学校野麦分校の校舎。木造2階建て、切妻屋根鉄板葺き、昭和年完成の建物。現在は研修施設として使用されている。
<選定の経緯>
調査対象物件として芝居小屋、中津川宿・落合宿の古建築、仁科吉五郎商店(酒屋)、高山市近代和風調査リストの物件、野麦学舎が挙げられた。中津川市文化振興課への問い合わせ、岐阜県図書館、下呂市教育委員への聞き取り、鳳凰座、野麦学舎の見学等を経て、最終的に野麦学舎を選定した。将来の修理保存にアドバイスできるとよいと考えている。
<野麦学舎の立地と歴史>
野麦学舎は野麦峠近くの標高1,324mの地点にある。かつては鎌倉街道とよばれ明治大正期の女工哀史で有名で、その後電源開発で近代化が進んだ地域である。明治7年に野麦簡易小学校として設立、現在の建物は昭和29年に建てられたものである。昭和56年に廃校になったが、平成7年に高根村が研修施設として改修、「野麦学舎」として再スタートし現在も市民団体「野麦学舎保存会」が維持管理している。
<野麦学舎の現地調査等>
保存会会長より平面図、敷地図等を拝見、文献調査として「高根村史」、「野麦分校校史」を調査、野麦キャンプ場の管理人にヒアリング調査を行った。現地調査にて棟札を発見している。
<建物の概要と特徴>
昭和29年建設の木造2階建て、延べ面積453.63㎡の校舎である。部屋の構成は、1階は玄関、雨天体操場、職員室、給食室、家庭科室、和室、事務室、トイレほか、2階は低学年教室、高学年教室、特別室、食堂、物入で構成される。現地調査にて棟札を発見し、施工は早川金吾、建設委員4名、大工7名の記載がある。雪深い地域であるので冬季でも体操ができるよう雨天体操場が大きくとられていることがこの建物の最も大きな特徴である。
<改修の経緯と保存活用>
昭和29年に新校舎落成以降、数回の増築、改修を行っているが、1階の雨天体操場、2階の教室は建設当初より改装しておらず、当時の意匠を残している。2022年に保存会が譲渡を受け、その後毎年野麦学舎祭りを開催しており、野麦イササを披露し多くの方に野麦学舎と野麦地域の魅力を味わっていただくこととしている。
<評価>
「国土の歴史的景観に寄与しているもの」
・廃校になってからも地域住民のてにより管理されている。野麦学舎保存会が活動し今後の利
用も考えられており、野麦地区にとって中心となる建物である。
・学校としての機能と雪国の特徴をとらえた雨天体操場が建設当時の原形をとどめている。
講評:林秀和様(あいちヘリテージ協議会)
・建物の活用はその魅力を知ったうえで考えなければならない。一般の方が気付いていない魅力
に気づかせてあげることもヘリテージマネージャーの仕事である。
・昭和30年前後の建物ならばそのころの小学校建築の基準を調べるとよいでしょう。小屋裏のキ
ングポストなどが特徴的であり、そのような構造を用いてスパンを飛ばすことに魅力がある。
・屋根に金属板を使っているが、金属板は場所や時代によって違っている。金属板の裏にメーカ
ー名が書いてあることもあるので、このようなことも調べて保存会に提案できるとよいのでし
ょうか。
◆「文化財の創造的活用を目指して」
講師:静岡ヘリテージセンターSHEC 塩見 寛 様
「文化財の創造的活用を目指して:として9つのテーマに沿ってご講演をいただく。
塩見寛 様 講義風景
①日本人は「歴史的」なものを、どのように捉えてきたか。
日本人は古来より環境をそのまま受け入れて楽しむ感性を持っていた。日本三景という名所、江戸時代に描かれた北斎の富岳三十六景、広重の東海道五十三次などの版画などその時代の景観を描いたものであり、広重の「道灌山虫聞之図」はなんでもない風景の中に虫かごをもった子どもやお酒をたのしむ人たちが描かれており日本人の感性をよくあらわしたものである。明治になるとヨーロッパでジャポニズムブームが起こり浮世絵をはじめ多くの文化財が海外に流出し、「歴史的」なものが失われる危機が生じた。このころから「歴史的」という考えが生まれ、1881年古器旧物保存法以来、現在の文化財保護法に至るまで様々な法律で文化財を守ることが求められてきた。
②HMは設計の仕事とどう向き合っていけばいいか。
焼津市の「花沢の里づくり」(伝統的建築物保存地区)の事例の解説。主屋ではなく付属屋が町並みを形成している地域。ここでは静岡県ヘリテージセンター(SHEC)が花沢の里保存会の要望に対応したが、住民や建物の所有者とHMがほどよい関係を築いていった好例である。特に歴史的な街並みを保存するにはしっかりした調査が筆世であるが、維持修繕を行う場合は費用が発生するため、どこから有償になるのかをはっきりさせておくことが重要となる。
③建築基準法第3条《適用除外》をどのように活かしていくか。
文化財は文化財保護法に基づいて指定を受けると建築基準法の適用除外を受けることが可能であるが、必ずしも指定を受けなくてもHMが調査し価値があることを証明し建築審査会で議論することで文化財として扱える可能性がある。適用除外の基準となる「その他の条例」については京都市の条例が進んでおり、保存活用計画作成時に補助金が出るようになっている。国交省でもガイドラインを示しているのでHPで確認するとよい。
④「本物」か否かと、高価か安価をどう折り合えばいいか。
日本の文化を木のぶんかということがあるが、石も建築に多く使われており建築文化の一面を作っている。静岡市駿府城の石垣の修復の事例では、静岡市は駿府城の石垣が地震で崩壊した後の修復を比較的安価なコンクリートではなく高価であるが実際の石組で修復している。本物の重要性を考慮した事例である。「よい景観が人をつくり、風景が人の心を作る。」という考えで、良い景観を作っていくことが重要である。
⑤文化財として指定・登録することを所有者にどう話をするか。
有形文化財として登録するには所有者の承諾が必要である。ただ登録を受けても所有者にはあまりメリットがないのが実情である。HMの視点から良いものはきちんと評価しその魅力を所有者に訴えることが大切である。
⑥防災か文化財かの岐路に立った時、どう対処するか。
非常時に市民の安全を確保することは最優先すべきことだが文化的価値のある物を守ることも必要である。静岡県では非常時のHMの活動マニュアルがあり、応急危険度判定を行った建物にSHECの連絡票を貼るなどして文化財を守るスキームを作っている。行政と建築士会が連携して活動することになるが、一方で左官、瓦職人、左官職人の方々と協定を結び非常時の活動に備えることも行っている。
⑦「史実に忠実」に復元する場合、バリアフリー化をどう考えるか。
名古屋城の木造復元について、バリアフリー化のためにエレベーターを設置するかどうかが話題となっている。愛媛県の大洲城では天守に登るエレベーターは設置されておらず、展示を1階に集中するなどの工夫をしている。難しい問題であるが、「文化財のためのバリアフリー事例集」を参考にするなどして考えてほしい。
⑧都市計画事業により歴史的建造物が壊される、さあどうするか。
静岡県菊川市では文化的価値のある赤レンガ倉庫を区画整理で解体撤去する計画があったが、住民組織が保存運動を行って換地計画を変更して公園用地として保存することとなった事例がある。市民と行政が協力して文化的価値のある物を保存した好例である。
⑨本来の機能がなくなったものに、価値はないのか。
現在では火の見櫓の機能は失われているが、記憶の風景としての価値、地域の物語としての価値、まちづくりの素材としての価値がある。建物は建設当初の機能を失ってもその建物のもつ意味を活かすことで現代のまちづくりに活かすことができる。原爆ドームは当初広島県物産陳列館として建てられたものだが原爆で破壊され本来の機能は失われた。しかし建物はそのままの状態で保存され平和記念公園の計画の中に位置づけられて、今でも多くの人々の核兵器のない平和な世界への祈りの象徴的なものとなっている。宮城県南三陸防災対策庁舎も東日本大震災の遺産として保存が決定した。また静岡県では清水氏カトリック清水教会聖堂という木造でゴシック様式を表現した貴重な建物がある。2021年に協会として閉鎖された解体する話があったが、今後は移築して祈りの場所として当初の協会という機能ではなくだれもが利用できるものとする予定である。
文化財を守るためには「ひと」「もの」「こと」「かね」を組み合わせることになるが、よく問題になるのは「かね」即ち資金計画である。行政の資金だけでなく民間でのクラウドファンディングなどの手法を活用しながら活動をすすめていきたい。
◆「岐阜県ヘリテージマネージャー等人材育成」講習会 終了証の交付
令和5年度「岐阜県ヘリテージマネージャー等人材育成」講習会終了の授与。受講者を代表して上杉九未さんが受け取る。
◆ぎふヘリテージマネージャー協議会 福田部会長あいさつ
以上にて令和5年度岐阜県ヘリテージマネージャー等人材育成講習会第17日目を修了した。