ぎふHM 2023年度
令和5年度 HM 第12日目
テーマ:「重要文化財建造物の保存修理と構造技法」について
:「登録文化財(建造物)や各地域の歴史的建造物の概要及び保存活用の意義」について
日時 :令和5年11月18日(土)10:00~15:00
場所 :午前実施研修 大寺山願興寺修理現場見学会
霊宝殿拝観(重文仏像24基)
:午後講義 中山道みたけ館 2階郷土館ホール
参加者:23名
次回のガイダンス
令和5年11月25日(土)開催の第13日目講座(ワークプラザ岐阜)の説明を行いました。
「大寺山願興寺修理現場見学会」
現在、解体修理中の願興寺本堂の現場見学会を行いました。現場内の説明については、工事監理を行っている、公益財団法人 文化財建造物保存技術協会 内山氏に案内して頂きました。
・願興寺の概要
願興寺は、旧中山道御嵩術にある天台宗寺院で、大寺山と号し、古くから可児薬師の名で親しまれ、広く民衆の崇敬を集めてきました。寺の草創は、寺の伝記によれば伝教大師最澄の東国下向の際に、この地にとどまり、小堂を建立し、最澄自ら作成した薬師如来像を祀ったことに始まると言われている。
その後、長徳4年(998 平安時代)に至り、本堂、宝塔などの伽藍造営が行われた。当初の伽藍は天仁元年(1108 平安時代)戦火によって焼失したが、貞治、応永頃(1362~1428 南北朝時代)には諸堂が再興された。
しかし、元亀3年(1572 戦国時代)には、武田軍の戦火により再び消失し、天正9年(1581 安土桃山時代)に本堂のみが再建された。
現在の本堂は、この時代のもので、近在の百姓、玉置与次郎と市場左衛門太郎の2名が発願し、近隣の人々から浄財を集めて建立したと云う。そのため使用されている材料には、寺院建築にはあまり用いない、曲がった柱などが見うけられるほか、焼失した前身の礎石を再利用されているなどの特徴がある。
・願興寺の文化財指定
大正3年(1914)、戦国時代の戦火を免れて本堂に安置されていた本尊ほか二十四躯の仏像が、旧国宝に指定されました。
本堂は、昭和31年(1956)県指定文化財となり、その後昭和61年(1986)には重要文化財の指定を受けました。
・願興寺の修理概要と建物の規模・特徴
本堂は、建立以来、分かっているだけでも大小合わせて10回ほど修理が行われてきましたが、全解体修理は行われていません。
現在行われている保存修理事業では、基礎からすべて解体し、修理を行う計画とし、平成29年(2017)11月より令和8年(2026)7月までの工期で予定されている。
見学時は、木造軸部の組み立てが終わり、耐震補強工事のうち、鉄骨柱などの主体部と天井裏に設ける鉄骨水平構面の設置が完了したところとなる。
願興寺は、天正9年(1581 安土桃山時代)に建立。構造形式は、桁行7間(27.48m)梁間5間(17.3m)一重寄棟造、向拝1間、鉄板葺、床面積549.7㎡、建築面積1,020㎡(県内では最大)
平面は、周囲1間を開放的な広縁とし、中央柱間3間を同じ柱間寸法にするなどの特徴があるほか、建てられた当初の室内空間は、桁行3間、梁間2間と小さく、その後段階的に拡張されて現在の規模となったことが分かった。明治の初めころまでは、仏像と参拝者の距離が近く、庶民信仰的な要素が強いお堂だった。また、庶民が建立した寺院ということで、財政的な事情から、柱に使われている樹種が9種類も使われていることは、他にも例がない。
・工事工程
平成29年(2017) 11月着工 仮設工事及び解体前調査
令和 3年(2021) 3月 解体工事 完了
令和 5年(2023) 11月 躯体軸部及び鉄骨耐震補強
令和 8年(2026) 7月 完成予定
・工事状況
令和3年2月に解体工事が完了したことに伴い、今まで明らかにされていなかった部分も判明することができた。
本堂は、天正6年(1578 安土桃山時代)ころから建てはじめ、寛永元年(1624 江戸時代)ころにコケラ葺の屋根が整い、現在の姿に近い形となった。しかし、このころの本堂の規模は、桁行3間、梁間2間の小さな室内だった。その後、江戸時代中期に桁行方向のみを東西1間ずつ拡張し、桁行5間、梁間2間となった。同時に仏壇も拡張し、5間長仏壇となった。文化13年(1816 江戸時代)には、柱や桁を取り換える大きな修理をし、明治17年(1884)から大正13年(1924)ころまで続いた一連の大改修により、屋根は桟瓦葺となり、平面は梁間方向南に1間拡張して、桁行5間、梁間3間の現在までの規模となり、内陣には仕切りが設けられた。現在の姿は、昭和59年(1984)に、桟瓦葺をコケラ葺風鉄板葺に変えたものになっている。
今回の改修では、お寺と国の許可を得て、外陣が室内に取り込まれる前の江戸時代末期ころの特徴的な平面に復元することとなった。
解体時に判明した歴史的は発見や発掘調査については、次項の「登録文化財(建造物)や各地域の歴史的建造物の概要及び保存活用の意義について」で記すこととする。
「登録文化財(建造物)や各地域の歴史的建造物の概要及び保存活用の意義」について
御嵩町 生涯学習課 文化振興係長 栗谷本真氏に講義して頂きました。
講義の様子
まず初めに、御嵩町の原始時代、古代、中世、近世、近代の歴史を触れ、近世の宿場町とし、現代の亜炭鉱による町の発展について、お話ししました。
町内の指定文化財は、国、県、町あわせて64件あり、町としては多くの文化財を保有している。その中でも、建造物は10件あり、町としても積極的に保存活動を行っている。
今回、大改修を行っている願興寺は、町内としては過去に類を見ないビックプロジェクトとなっている。工事の概要や建物の特徴は、前述通りなので、この項では割愛する。
工事着手にあたり、解体前調査や解体工事を進めていくと、寺伝ではわからなかった部分や新たな発見が多くあったそうです。また、過去10回ほどあった改修工事の年代特定は、解体時に木材の裏や棟札に墨書が記されており、増改築の千篇がわかる良い資料となった。
寺院の周りを、仮設の素屋根を組むことで風雨から建物を守ると同時に施工性にも配慮して計画している。解体工事を進めるうちに、天正6年の参拝者による墨書が出来てきたことにより、建立は天正9年だが、それより以前から建物の大枠は出来ており、参拝者がこの場を訪れていたことが分かり、新たな発見となった。そのほかにも、この建物の建築に携わった大工の名前や材の番付など、解体したことで判明した貴重な資料となった。
その中でも、前述記載した柱材に9種類もの樹種が使われていたことは、現在でいうところの地産地消、地域住民の持ち寄れる範囲で寺を再建しようとする、当時の人々の思いが垣間見える。
解体工事が終わり、礎石と宮殿のみとなったことで、基壇の調査をすることが出来るようになり、短い時間であったが現地調査を行った。調査の結果、礎石の多くは2回の焼失の前のものを再利用しており、歴史的にも価値のあるものであるので、補強し再び礎石として利用することとした。また、基壇の発掘調査では、寺伝の通りの2回の火災痕と平安時代の前身本堂の基壇と思われるものも確認された。そのうえで、寺院躯体の構造補強鉄骨の基礎コンクリートは、基壇を傷めないように根入れをせずに、据え置きとした。
また、柱については、国に残すように指示されたことで、痛みの激しい材については繕い補修することで再利用できるようにした。
以上のように、解体したことで数多くの発見があり、今後もよりよい保存のための一助となるように資料として保管していく必要がある。
■最後に
今回の講座で、国重文の改修方法、保存方法の手法を知ることができました。特に解体することでしか知り得ない事実もあり、歴史的建造物の保存の奥深さを学ぶことが出来ました。
今後の講座でも、今回の内容を活かして学んでいきたいです。