ぎふHM 2023年度
令和5年度 HM 第11日目
テーマ:歴史的建造物とは?建物の見方、ポイント(講義・演習)
日時 :令和5年10月14日(土) 10:00~16:00
場所 :午前講義 海津市 SSドローンプラザ 会議室
午後実地 国指定重要文化財 早川家住宅
参加者:20名
国指定重要文化財 早川家住宅(農家住宅)についての概要説明(講義)
名古屋工業大学名古屋工業大学 名誉教授 麓和善 氏に講義して頂きました。
麓和善氏の講義風景
① 初めに文化財の区分についての説明
1)指定文化財は国指定・県指定・市町村指定がある。但し補助金額が多い為、個人(建物所有
者)が勝手に壊せない。
2)登録文化財 補助があるのは設計監理費用と税制優遇で工事は補助金は出ないが登録解除
ができる。
3)選定による文化財 例えば伝建地区(文化庁に選定してもらう必要有)
② 早川家の重要文化財指定の作業の流れ
1)配置図(植栽も含む)
2)現況写真撮影
3)現場実測に依る平面図・矩計・小屋組み等
*作業における注意点 棟札は外さない(破損する恐れあり)
③ 重要文化財 早川家
早川家は、岐阜県下屈指の豪農で、江戸期から現在地に広大な屋敷を構えていたが、明治24
年(1891)10月に東海地方を襲った「濃尾地震」で、甚大な被害を受けた。
当時の早川家当主は17代周造で、幼少から漢字、華道、茶道を学び、教養を身につけた文化
人であった。明治16年に20才で家督を継ぐが、明治12年に三郷村戸長、同17年に南濃銀行
頭取、高須第七十六銀行取締役になるなど、若くして要職にもついていた。
28才の時であるが、すでに社会的重責を担うだけの経験も備えていた。また、明治30年6
月には多額納税者の互選により、貴族院議員にも当選した。漸庵、利得庵と号し、茶人との交流
も深めた。
濃尾地震後の再建は、まず主屋から始められ、明治25年3月に手斧始、同25年12月に上
棟式が執り行われ、明治27年後半には竣工した。大工は名古屋の伊藤市朗治一統である。離れ
である嵯峨廼舎と小室及び湯殿・雪隠は、明治32年に建前が行われ、翌年に完成した。
国指定重要文化財 早川家住宅(現地視察)
麓和善氏、早川氏に解説して頂きました。
早川家では、明治24年(1891)年の濃尾地震により甚大な被害を受けたため、17代当主早川
周造が自身の意向により当時の最先端技術を駆使して地震対策・水害対策を検討した。松杭とコ
ンクリートを用いた地震補強・筋違・火打梁・地震梁などの構法を採用した画期的工法を尽く
し、災害に対する備えを強固にした屋敷を明治37年(1904)に再建した。
また、茶の湯の精神が行き届いた伝統美を持つ数寄屋造りも取り入れ、千利休の茶道を継承す
る三千家の一つである武者小路千家八代一指斉と中京界の茶人として著名な村瀬玄中などの指導
を受けて茶室や庭園が造られた。
主屋広間には床の間や付書院が造られ、一指斉の花押が刻まれている。床を構えた和室には次
の間と和敬室、離れには嵯峨廼舎と小室があり座敷の格式や用途によって異なる特色を持つ。
また、これらの建物の普請関係書類も豊富に併せ持ち、大規模で秀逸な意匠の近代和風住宅と
して百年以上の重みが感じられる。
主屋・裏座敷・洋館・辰巳庫・下男部屋・辰巳隅職人部屋・飯米庫・西ノ庫の八棟、これらと
係わりを有する表門・裏門・髙塀など、それらが一体をなして文化的、歴史的価値を形成してい
る。