ぎふHM 2022年度
HM第8日目
テーマ:高山市の文化財・町並み保存の方法と現状について
日時 :令和4年10月1日(土)10:15~16:00
場所 :午前講義 飛騨高山まちの博物館
:午後講義 重伝建三町上町~州さき
参加者:32名+愛知HM協4名
石黒会長による第8日目開会挨拶
高山市の文化財・町並み保存の方法と現状について(講義)
高山市教育委員会文化財課 課長 牛丸岳彦氏に講習して頂きました。
1.高山の地理・歴史の紹介
・高山の地は古くから交通の要衝として発展
・「古い町並み」はおよそ400年前の金森長近による城下町形成を基としている
・江戸時代に入り幕府直轄地となり城が廃されて以降、商人の町として発展
・過去、多くの火災に見舞われ「古い町並み」区域の町家の多くも明治以降の建築
・高山の町はさんまちを中心にして周辺部に広がっていき、または街道沿いに伸びていった
・明治に入ってから造られた日下部民芸館・吉島家住宅の重要文化財指定は、「近代和風建築
調査」のきっかけとなり、近代(明治)以降の重要な建物の発掘の発端となった
2.高山町家の特徴
・町のつくりは南北に主通りが走る梯子状(東西の通りは建物の側面をみせる横丁程度で碁盤
の目といわれているのは間違い)
・主通りに面して敷地は東西に長く、町家の間取りは「主屋-通り土間・庭-土蔵」の順に配
置、土蔵どうしで防火帯を形成(裏手の土蔵との間には排水路が通る)
・各町家の入口と通り土間は南側に配置
・もとの町割りは間口が3間程度の敷地割から、時代を追って集約化が進み大規模な敷地も出
現するようになる
・軒先は宮川から引かれた用水の側溝に直接雨が落ちるように揃えられている
・江戸時代にも現代の建築確認申請のような役目を果たす建築行為の届け出制度(「願書留」)
があり、不文律の了解事項も含めた慣習が建築活動を制御し現在の歴史的町並みで得られる
統一感のベースになっている
・高山の町並みの色は明治以降の民家ではほとんど「弁慶塗り+油拭き仕上げ」となっていた
と思われるため、徐々に黒くなってきた色合いを本来の赤みのある濃茶色に塗り直すことも
試みられている
・高山の町家は元々商売を行うための家であったが、その仕様・構造は時代(技術の発展)と
ともに変化してきた
・2階の利用が進むにつれ、正面の立ち(軒高)は明治以降、徐々に高くなる
・屋根は榑葺きからトタン葺きへ
・もともと天窓は無く、明治以降徐々に広まる
・庇は明治中頃までたて板葺き、明治後期以降に垂木形式が普及
・開口部は上げ蔀戸から出格子(+障子)に変化
牛丸岳彦氏講義風景 牛丸岳彦氏講義風景
3.町並み保存のとりくみ
・川をきれいにする運動・都市美化運動・メディアでの紹介などを通じて町並みを整備する機
運が高まっていき、三町伝建地区選定につながっていった
・町並保存会は屋台組を活用し、それを単位として組織されている
・各町並保存会の取組みとしては、地域協定のような町並み保存のルール作りをして建築物・
工作物・付帯設備の仕様などの他、商売のしかたなどのソフト面についても基準を設けている
・町並みを守るためには
1)家族がいないとダメになる
2)町並みに誇りを持つ
3)沢山の共通の目的を持つ
4)自分だけが突出しない
5)最後は人である
・町並み保存は住民・旦那衆・行政・観光団体・同業組合・金融・不動産・設計士・大工等の
連携が必要でそのネットワークづくりが不可欠
・高山市三町の「伝建地区」選定は全国で12番目(昭和54年)と制定から2年遅れたのは
防火地域に関する現行法との折り合いをつけるのに時間を要したと聞いているが、防災対策
をしっかり行うことでクリアした
・火災については屋根の不燃化、秋葉神社祭禮や夜回り、防災訓練、連動式の火災報知器・通報装置の設置等により対策がなされている
・「伝建地区」は都市計画の1つとして取込むことにより、効果的な町並み保存が出来るよう
になっていった
4.修理と修景の実例紹介
・文化財の修理はどの時代の姿に戻すか(どこに価値づけを置くか)が鍵となる
・修景は周囲の町並みに対して違和感のない工夫をしている
現地視察
文化財の改修整備活用事例として「飛騨高山まちの博物館」見学 牛丸岳彦氏による解説
重伝建「三町(上町)」古い町並み見学 牛丸岳彦氏による解説
国指定重文(答申)「州さき」見学 牛丸岳彦氏による解説